
まったこともあります。家に帰ってからも、学校の勉強の復習をしたり子供のしつけをしたり、宿題もたくさんあったので手伝ってやりました。みんなが寝静まった後、私は一人で絵カードや文カードを作りました。就寝時間が三時間ぐらいしかなく、いつも寝不足でした。
だんだん疲れがたまり体の調子もよくないときがありました。でも、子供と一緒に通学しなくてはならないので頑張りました。三恵は三歳になって幼稚園に入りました。私は誠夫のときのように再び毎日、学校へ通い勉強をしました。
いま思えば、本当に辛い苦しい日々が続きましたが、子供の成長に期待をかけ我慢し頑張り通すことができたのです。お陰さまで誠夫は無事に学校を卒業し、前橋市の日本精工に勤めています。また三恵も卒業して会社に勤めています。いまは二人とも社会人になりやっと楽になりました。これも学校の先生やみなさまのお陰と感謝しています。
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